要目(新造時) | |
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基準排水量 | 2701t |
公試排水量 | 3452t |
全長 | 134.2m |
全幅 | 11.6m |
平均吃水 | 4.15m |
主機械 | 艦本式オールギヤードタービン2基 |
軸数 | 2軸 |
主缶 | ロ号艦本式専焼缶3基 |
機関出力 | 52000馬力 |
速力 | 33ノット |
燃料搭載量 | 1080t |
航続距離 |
18ノット-8000浬(計画) 18ノット-9000浬(実測) |
乗員 | 263名 |
主要兵装 | |
高角砲 | 65口径10.0cm連装砲4基 |
魚雷発射管 | 61cm四連装発射管1基(次発装填装置付) |
機銃 | 25mm連装機銃2基 |
爆雷投射機 | 両舷用2基 |
爆雷投下台 |
手動式4基 水圧式2基 |
基本計画番号 |
F51 F53(満月型) |
同型艦 | 12隻 |
同型艦一覧 | 秋月、 照月、 涼月、 初月、 新月、 若月、 霜月、 冬月、 春月、 宵月、 夏月、 花月 |
計画経緯
本型は、「陽炎型」「夕雲型」の「甲型駆逐艦」に対し、「乙型駆逐艦」と呼ばれました。
1930年代の航空機の急速な発達は、水上艦艇ど言えど安穏としていられないほどの脅威となっていました。
これに対し、各国海軍は対艦砲でなく対空砲を主兵装とした艦艇の検討を開始しました。
その一番手は英国海軍が就役させたC級軽巡です。これは第一次大戦時に建造された旧式艦でしたが、主砲を廃して代わりに10cm高角砲を装備しました。
日本海軍もまたこの種の対空艦を検討し、その結果計画されたのが「秋月型」です。
特徴
「秋月型」は1938年(昭和13年)に要求した防空直衛艦が基になりました。
ここで注目すべきは、軍令部の要求内に雷装がなかった点です。
即ち、「秋月型」は本来、駆逐艦として計画されたわけではなかったのです。
もっともそれ以外の軍令部の要求は、例によって高望みでした。
艦政本部は、この要求をまともに呑むと公試排水量で4000tを超える軽巡並みの超大型駆逐艦と化し、お世辞にも量産可能な艦艇とは言えない代物になると抵抗しました。
軍令部としても、限られた予算内での量産を考慮しなくてはならないので、艦型と速力を抑え、長い航続距離を優先することにして、ここに「秋月型」が誕生したのです。
ここで注目すべきは、成立した「秋月型」の計画に雷装が追加されていた点です。
これは、対空戦専用の艦艇は贅沢に過ぎるという意見に配慮した結果で、雷装を施すことによって駆逐艦としての付加価値を追加し、予算を成立させ易くしたのです。
その結果、「秋月型」は「駆逐艦(乙)」と呼ばれたのです。
「秋月型」について特筆すべき点は、その強力な高角砲の存在です。
この九八式65口径10cm高角砲は、従来の主力である八九式40口径12.7cm高角砲よりも初速・発射速度・俯仰角速度・旋回速度・最大射程等において凌駕する、極めて優秀な艦砲でした。
更にこの長10cm高角砲は対艦砲としての性能も優れ、実戦における成績は、「甲型駆逐艦」を始めとする艦隊型駆逐艦が標準的に装備した、三年式50口径12.7cm砲にも全く遜色がなかったと言われています。
この砲の問題点は、その生産工程が複雑で、量産には不向きであった点です。
また、本型の持つ他の特徴として、機械室を2分割した点は注目に値します。
甲型までの駆逐艦は、1室に機械を2軸とも収め、また缶は1室1缶でした。
「秋月型」では、「松型(丁型)」のような完全なシフト配置にはしていないものの、艦首方向から順に、前部缶室(缶2基)、後部缶室(缶1基)、前部機械室(左舷軸機械)、後部機械室(右舷軸機械)といった具合に配置されていました。
経歴
本型は、1939年(昭和14年)の第四次海軍軍備補充計画(マル4計画)で6隻、1941年(昭和16年)の戦時補充計画で10隻、1942年(昭和17年)の改訂された第五次補充計画(改マル5計画)ではなんと23隻もの建造が計画されました。
特に、マル5計画では16隻の予定だった建造計画が、ミッドウェイ敗北後に改訂された改マル5計画では23隻に大増強されている点で、海軍が受けた敗北の衝撃がいかに大きかったかがうかがえます。
本型は、16年度計画艦は6隻全てが完成し、逐次戦場に投入されました。
しかし、17年度計画艦10隻は、最初の1隻だけが当初の計画のまま完成しました。
残りの艦はどうなったかと言いますと、戦局の悪化に鑑み、工事を簡略化して竣工までの期間を短縮しました。
その為、こまごまとした点で「秋月型」と異なります。
例えば、艦首ナックルの曲線状整形をやめて直線状にしたり、後部探照燈台が独立構造物になったりしています。
これらの形状の変更の為、17年度計画艦の2隻目以降、即ち「冬月」以降を「冬月型」と呼んで「秋月型」と区別することもあります。
「冬月型」は、8番艦~11番艦がこれに相当します。
更に戦局が悪化すると、より一層の簡略化がはかられることになり、艦首形状の完全直線化や材質の規格を低下させたりする努力が払われました。
これは、17年度計画艦の6隻目以降の艦、即ち「満月」以降に適用され、「満月」以降を「秋月型」「冬月型」と区別する意味で「満月型」とすることもあります。
もっとも、「満月」は竣工前に建造中止、「満月型」は本来同型2番艦のはずだった「花月」だけが竣工しています。
残りの艦は建造取り止めになりました。
前線に投入された「秋月型」の各艦は、対空防御火力の脆弱な日本艦隊の中にあって、極めて有効な働きを見せました。
しかし「秋月型」は数が少なく、一度に大量投入されることがなかった為、米航空戦力の真の脅威にはなり得ませんでした。
また、対空能力と対潜能力という、従前の駆逐艦にはない上に現場で最も必要とされる能力を兼ね備えていた為、「秋月型」は、完成した順に逐次前線に投入されていきます。
「秋月型」の武勲を高めるのには有効でしたが、その代償としてソロモン戦域で魚雷艇にしてやられるなど、およそ費用対効果の釣り合わない結果も伴うことになりました。
本型は大戦の中期以降、主に機動部隊の直衛として、時には水雷戦隊の一員として、第一線で活躍しました。
その結果「秋月型」完成12隻中、6隻が戦没しました。
昭和20年近くになってから竣工した5隻は、既に活躍の場がなかったので、内海での訓練や浮砲台に終始し、戦没艦はありません。
まともに活動したのは、16年度計画艦6隻と「霜月」「冬月」で、これら8隻のうち6隻が戦没しています。
しかし航空攻撃による撃沈は「秋月」「若月」の2隻で、「秋月型」の対空生存性の高さがそれなりのものであったことは間違いないでしょう。
最後に、「秋月型」は「“VT信管”と“レーダー管制射撃装置”がないから使えない」と評価されることがあります。
しかしこの論調でいくと、日本の持つ全ての兵器が「使えない」となりかねません。
艦載兵器はある程度は換装が可能です。
「秋月型」は、艦型に比較的余裕があり、また極めて航洋性に優れた艦です。
航続距離などの点から鑑みるに、米ギアリング級以上の潜在性能を備えていたのではないでしょうか。
兵器のプラットホームとしては、「秋月型」は同時期の米軍艦船よりも優れていたはずなのです。
「使えない」兵器を積んでいたかも知れませんが、それ即ち「秋月型」が失格であったわけではない、という点は明確に論じ分ける必要性があると考えます。
同型艦略歴 | ||
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秋月 | 昭和15年 7月30日 | 舞鶴工廠にて起工 |
昭和17年 6月11日 | 舞鶴工廠にて竣工 | |
昭和19年10月25日 | エンガノ岬沖にて、空襲によって沈没 | |
照月 | 昭和15年11月13日 | 三菱長崎造船所にて起工 |
昭和15年11月13日 | 三菱長崎造船所にて竣工 | |
昭和17年12月12日 | ガダルカナル島沖にて11日、魚雷艇の雷撃を受け、12日に自沈 | |
涼月 | 昭和16年 3月15日 | 三菱長崎造船所にて起工 |
昭和17年12月29日 | 三菱長崎造船所にて竣工 | |
昭和20年11月20日 | 除籍。後に若松港防波堤 | |
初月 | 昭和16年 7月25日 | 舞鶴工廠にて起工 |
昭和17年12月15日 | 舞鶴工廠にて竣工 | |
昭和19年10月25日 | エンガノ岬沖にて、水上戦闘によって沈没 | |
新月 | 昭和16年12月 8日 | 三菱長崎造船所にて起工 |
昭和18年 3月31日 | 三菱長崎造船所にて竣工 | |
昭和18年 7月 5日 | クラ湾夜戦にて、水上戦闘によって沈没 | |
若月 | 昭和17年 3月 9日 | 三菱長崎造船所にて起工 |
昭和18年 5月31日 | 三菱長崎造船所にて竣工 | |
昭和19年11月11日 | オルモック輸送作戦にて、空襲によって沈没 | |
霜月 | 昭和17年 7月 6日 | 舞鶴工廠にて起工 |
昭和19年 3月31日 | 舞鶴工廠にて竣工 | |
昭和19年11月25日 | ボルネオ西方沖にて、米潜の雷撃を受け沈没 | |
冬月 | 昭和18年 5月 8日 | 舞鶴工廠にて起工 |
昭和19年 5月25日 | 舞鶴工廠にて竣工 | |
昭和20年11月20日 | 除籍。後に若松港防波堤 | |
春月 | 昭和18年12月23日 | 佐世保工廠にて起工 |
昭和19年12月28日 | 佐世保工廠にて竣工 | |
昭和20年10月 5日 | 除籍。後に賠償艦としてソ連に引渡 | |
宵月 | 昭和18年 8月28日 | 浦賀船渠にて起工 |
昭和20年 1月31日 | 浦賀船渠にて竣工 | |
昭和20年10月 5日 | 除籍。後に賠償艦として中華民国に引渡 | |
夏月 | 昭和19年 5月 1日 | 佐世保工廠にて起工 |
昭和20年 4月 8日 | 佐世保工廠にて竣工 | |
昭和20年10月 5日 | 除籍。後に賠償艦としてイギリスに引渡 | |
花月 | 昭和19年 2月10日 | 舞鶴工廠にて起工 |
昭和19年12月26日 | 舞鶴工廠にて竣工 | |
昭和20年10月 5日 | 除籍。後に賠償艦としてアメリカに引渡 |
1998.01.28改訂
1999.06.14改訂
2000.01.10改訂
2002.04.03改訂
2007.08.20改訂
2007.11.13改訂