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No.1871 ノヴィック物語・第22回
投稿者: 志郎 05 May 2014 22:05:13
 敵の上陸地点がどこであるか、もとより知るところではなかったが、まず何と言ってもダルニーだろうと、われわれは見当をつけた。それでそこに機雷を沈置しようと決定した。2月の初め、この目的を遂行するため、エニセイが同地に派遣されたが、自ら自己の機雷に触れて爆沈してしまった。これは激烈な議論を巻き起こしたが、なぜならほとんどすべての人はこの出来事を、当然に艦長の不注意に帰すべきだと考えたためである。されど、再びその惨劇の跡を究め、あえてその原因を解明しなければならないとする人は少なくない。何事もこれを艦長の不注意や無能に押し付けておくことは、いとも容易いことである。

 かつてステヴァノフ中佐は、大学出のすこぶる才能に富んだ将校で、自ら1隻の水雷敷設船を設計した。実にエニセイは彼の設計に基づいて建造された船であるが、まず付け加えておかなければならないことは、海軍大臣が無遠慮にこれを改造してしまったことだ。それでついに中佐は、彼の考案による生まれるべき子とは似ても似つかぬ子の父親たるべきを命じられた。

 しかしその職務に熱誠で、特に魚雷および機雷に関することは、何に限らず一身を傾倒した彼は、お上が可なりとして採用した彼の考案の一部を頼みに、その全力を振るおうと決心した。そしてひとえに彼の企業的かつ大胆な性情を発揮するまま、彼はしばしば建言して敵港の沖合に機雷を投下することの許可を求めた。彼が手を下したこの種の最初の行動は、時々雪荒れを伴って、気温が氷点下に達することも珍しくなかったどんよりと風の強い日に、大連湾に機雷を敷設することであった。

 ようやくにして彼が球形機雷400個の投下を完了した時、その1個が浮上しているとの報告を受けたが、当時の海上の状況は、これを改めて沈置する作業を許さなかった。彼が熟練に欠けたのかどうかの実際はともかく、機雷が敷設されていると感知させてしまうこの標識をそのまま放置するわけにはいかなかったから、これを爆発させようと決心した。
 ところが、まだその作業にとりかからないうちに、エニセイの艦底に突如爆発が起こり、そのため同艦は波底に葬られることになった。いったい何が起きたのか、考えるに同艦は、激浪のために繋維索が切れて漂流していた自分の機雷のひとつに触れたか、あるいは激しい吹雪に目を覆われて、自ら敷設した機雷線の上をまたいでしまったのに違いない。

 乗員を救おうとして、直ちにすべてのカッターが降ろされ、艦長は頭部に重傷を負い、爆発によって生じた各種破砕物の破片を全身に受けて、身は蜂の巣のようになりながらも、よく心の平静を保ち、総員乗艇の作業を促し、やがて最後に、今度は艦長の番であることを勧告された時、彼は断固として乗艇を拒絶した。そして部下将卒環視の中、艦と運命を共にしたのは天晴、真の英雄である。
 自分に何か計算違いがあったのか、あるいは判断上の単なる誤りであったのか、いずれにしてもこの変事の原因がそこにあったからには、一死をもってその過失を償おうと決心するに至ったのは、毫も疑うべき余地のない、たれか、あえて現在に及んでまで、彼の過失を責めようとする者があるか!

 数日を経ずに、またこれに似た惨劇が演じられたが、その状況の難易はとうてい前者に比べるべくもなく、その結果もまったく趣を異にしている。その結果ある利益を獲得することになった一件とは、敵に隠そうと希望するとともに、等しく味方の大多数にも秘密にされた。今日においては我らロシア人が事の真相を知るのに何も問題はない。ノヴィックの姉妹艦であるボヤリンが大連湾に派遣されて、エニセイが敷設した機雷の一個に触れたのだ。

 まず断っておかなければならないのは、ボヤリン艦長はこれに対しまったく責任がないことで、これら水雷の敷設図は、エニセイの沈没と共に亡失していたから、ボヤリンはまったく盲目状態で、ただ運を天に任せて命令を遂行するほかなかったのである。しかしながら珍事が突発して以来の、同艦艦長の態度はまったく不思議である。全乗員がすでに乗艇を終わった時、機関長からビルジ溜りの浸水が減退しつつありとの報告に接した。けれども艦長は少しも耳を貸さず、折よく到着した駆逐艦の一隻に飛び移り、なお浮かんでいる自艦を棄てて、全速力で馳せ去ってしまった。しかも去るに臨んで他の一駆逐艦に、ボヤリンを魚雷で撃沈すべしと命令していったのだが、魚雷は2本とも的を外れ、同艦は三日間漂流して、やがて岩礁に押し付けられ、その場で波浪によって破壊されてしまったのだ。
第22回・第5章終わり

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No.1870 ノヴィック物語・第21回
投稿者: 志郎 03 May 2014 22:07:40
 ノヴィックと駆逐艦は出港すると同時に三隊に区分されたが、ここで私はもう一度、白昼襲撃は成功の機会が極めて少ないことを説かなければならない。実に不運だった戦艦八島を抱擁した敵の巡洋艦は、わが駆逐隊めがけて盛んに熱火を浴びせかけたので、一歩も近寄ることができなかった。
 後聞するところによると、八島は損傷甚だしく、そのために日本へ到達する前に沈んでしまったそうだから、わが駆逐艦のこの企画は、もし遂行したにしても無意味なものだったわけだ。

 英国の新聞紙は当時下記のような記事を掲げたことがある。すなわち日本の新聞は筆を揃えてペトロパブロフスクの亡失を悼み、マカロフ提督の死をねんごろに弔ったと言うのだ。この点に関しすでに充分疑念を抱いていた私は、今や初瀬の沈没と共に、自己の見解に極印を捺された心地がする。それは、本来円滑にして平和を好愛する性を持つわれわれロシア人ですら、敵兵数百の生霊が波底に沈みゆくのを見て、かくの如き蛮的喜悦の象徴を示したとすれば、要するに残忍にして復讐心強き馬来種族である日本人が、ペトロパブロフスクの爆沈を見て、羽目を外して喜んだに違いないことには、いささかの疑いも入れようがないと、私は感得するのである。

 5月中旬、敵は旅順の戦術家が難攻不落と断定していた金州陣地の占領を遂げた。ここでは艦隊の援護をアテにしていたのであるが、艦隊そのものが無能を表白するに及んで、たまたま彼らがこれに頼っていたことが彼らの誤りだったのである。
 砲艦ボーブルはダルニー(大連)の東方に派遣された。同地におけるボーブルの協同動作は非常な効果があるものだった。日本軍を退避させたのは同艦である。しかるに一方、西においてはこの種のことはさらに行われず、ために日本軍はほしいままに背面からわが諸砲台を乗っ取り、まったく彼我の地位を転倒させてしまった。

 ボーブルの出発もさることながら、特にその帰還は籠城史中、長く赫々の頁を留めるだろう。この砲艦を指揮したシェルティング中佐は、これによりゲオルギー勲章を下賜されたが、それはやっとのことであった。最後の瞬間まで敵に砲撃を加え、もし不幸にして金州が陥落すれば、ボーブルはこれを沈め、乗員を率い、陸路旅順に帰投すべしとの命令を同中佐は受け取っていたのである。シェルティング中佐は行動予定の前半を立派に完成したが、後半を決行するのは忍びなかった。彼はボーブルを沈めるべき最後の瞬間が到着した時、同艦を旅順に帰還させられるかどうかやってみる方が、より上策ではないかと考えた。

 しかしこれは、金州の陥落と共に、日本艦隊が行動の自由を回復し、海上権を掌握することになると考えれば、むしろ暴虎馮河の嫌いがあった。ボーブルは風すさむ暗黒の夜半に、敵の艦艇と船首相並べて航走しつつ退却を全うした。同艦を救ったものはただ暗黒があっただけである。大砲は旧式と言うより骨董品に類するもので、その榴散弾は陸軍にとっては恐るべきものだが、同艦を攻撃しようという艦船に対しては、何ら効力のないものなのである。

 ボーブルがダルニーに対してかかる成果を挙げて以来、同艦より一層有力な艦を派遣しなかったのは、大失態であるという非難をしばしば耳にした。ところがその答えはこういうことなのだ。……発砲することの可能な唯一の地点は、極めて短小な艦船のみがようやく位置を保ち得るほどに狭隘な場所であった。ボーブルですら機械を回して終始位置を保っていなければならなかったのである。
第21回・終わり

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No.1869 ノヴィック物語・第20回
投稿者: 志郎 01 May 2014 21:58:21
 水雷敷設船アムール艦長イワノフ大佐は、やがて一つの秘密計画を案出し、秘かにこれを胸中においていたが、今や彼は、あるとき港外に出たついでを利用してその遂行を企てた。
 日本艦隊は正規の封鎖を設定した。そしてわれわれは彼らが、海岸線からおよそ10浬沖の一線を上下に運動するのを日々目撃した。これは彼らが、真に価値のあるものと認めているわが唯一の海岸砲台である、電気山上の重砲の射程外にあると判断した距離で、彼らはその距離にはわが砲弾が到達できないのをよく知り、砲弾を見舞い得る機会を与えるよう何か敵の運動に錯誤があればと望みつつ、日々夜々を砲後ろに過ごす我らの憐れむべき砲手を侮蔑した。

 あいにく日本艦隊は、彼らが定めた限界以内には、半浬たりとも立ち入って危険を冒すような抜かりがなかった。この特徴を看取した慧眼なるアムール艦長は、海上に靄霧があるのに乗じて、彼らが選定した地点に達し、そこに若干の機雷を投下した。だが、ウィトゲフト提督は、この作業……彼はこれを狂気沙汰だと言った……の報告に接すると果然立腹し、イヴァノフ大差を面責し、アムール艦長から他へ左遷するとまで威嚇したのである。

 この話は、得てしてそういうものだが、たちまち全市街に広がった。したがって翌朝は現に当直にある者以外は、あたかも命令でも受けたかのように電気山上に集まった。やがて10時、日本戦艦隊は単縦陣を成してきたが、わが敷設原を安全に右方に通過して、老鉄山背後に消えてしまった。しかしわれわれが未だまったく失望から回復していない時、敵の巡洋艦隊が左方遙かに出現した。これと同時に先の戦艦隊もまた回頭して、再び老鉄山の背後から現れ、危険帯に向かい直進した。

 固唾を呑んで待つこと数分、敵の戦艦隊は一斉に機械を停めた。と、見る間に八島型の一艦が著しく左舷に傾斜し始めた。誰も実際に爆発を見た者はいないが、刻々重大になっていくその傾斜は、その艦底で機雷が爆発したに違いないことを明らかに表わしていたのである。
 望遠鏡を手に取ってみれば、その艦めがけて漕ぎ行く艦隊の全カッター、なお機械を停止したまま付近に待ち居る残余の敵艦隊、それらがレンズの内に映じ出されたのである。旅順の興奮はいまや絶頂に達した。駆逐艦は用意すでになって動き出すばかりである。ノヴィックは出動の命令に接した。ゆえに私は、たがいに我が軍の成功を祝う言葉と、日本軍の上に降り注ぐ雨の如き呪罵を後にして、黄金山を去らなければならなくなった。

 しかし、話はここで尽きたわけではない。思いもかけぬこの瞬間、濛々たる白烟の一大水柱が初瀬型の一艦より天に冲し、同艦はまったくその裡に姿を没したが、この煙が消え去るのと同時に、その戦艦は艦首を下にして沈下するのを目撃した。すると天地も震撼する一種の喜悦が、どっとばかりに起こった。これはむしろ蛮的喜悦とでも称すべきものであって、その底止するところを知らず、帽子を空中に投げては投げ返し、また投げては投げ返して、歓呼万歳(ここは「ウラー!」だろう)を絶叫し、一同ただむんずとばかりに抱き合って、歓喜雀躍するのである。
 ああ、ペトロパブロフスク亡滅の復讐なる!!

 初瀬は排水量1万5千トンを有し、ペトロパブロフスクに比べてさらに有力ないっそう新型の戦艦であるからだ。全般に流れる得意の感は、外国海軍武官にまで波及した。ドイツ人は拍手した。有頂天になったフランス人は、「しくじったなり日本海軍! もうどうしようもあるまい!」と叫びながら帽を打ち振った。ただ一人アメリカ人は、自らの思いを胸に畳んで、一言も発することなく黄金山を下り去った。
 多分、日本軍は初瀬から多数の兵員を救助することができなかっただろう。敵艦隊はすべてそのカッターを収容すると同時に、なお停止したまま傾斜の状態にある憐れむべき八島を運命の手に任せて、全速力で航行し去ったからである。その後八島もおもむろに起き直って、これまた遠方に遠ざかりだした。
第20回・終わり

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No.1868 ノヴィック物語・第19回
投稿者: 志郎 29 Apr 2014 21:22:00
第5章
戦艦初瀬および八島の爆発……エニセイおよびボヤリンの沈没

 マカロフ提督死して、艦隊は頭なきものとなった。このため艦隊は不活動の運命に陥り、ただわずかに駆逐隊が哨戒任務を帯びて日々の巡航に出ていくばかりである。これは彼らにとってもありがたい仕事ではなかった。無聊に加えるに危険があり、暗礁に乗り上げて覆没するものあり、日本軍の砲火を被って撃沈されるものありで、こうした非業の最期を遂げたものは一、二隻にとどまらない。ロシアでは駆逐艦を水雷艇と呼んでいるが、彼らが負うところの名称の兵器を、未だ一度も発射する機会がないまま、空しく波頭の鬼と消え去ってしまった。ただ唯一の例外は、クリニスキー大尉の指揮する駆逐艦が、閉塞船を襲撃し、その護衛艦にも水雷発射を試みているが、これとても不成功に終わったのだった。

 昼は昼でこれらの駆逐艦は、外海警衛の任務に服するものを除いては、すべて工廠から廻したカッターやタグボート、掃海艇などと一緒に機雷引揚げを援助するのである。もっともこの掃海の任務たるや、前述の夜間勤務に比し、決して劣らぬほどの危険に満たされたもので、これら末輩の労役によって、大軍艦の出港に差支えがないよう保安されたのである。しかして私の観察したところでは、これら憐れむべき駆逐艦は、旅順は「なお盛んに活動している」ということを広告するためばかりに、しばしば出港させられたのである。

 4月も終わりに近づいたころ、敵がいまや遼東半島に上陸したとの報告に接した。しかし、日本軍がどこに上陸したとしてもたいした違いはなく、私は必ずや彼らを海上に駆逐してしまうばかりであると公言した、クロパトキンの言葉を思って、誰もあまりこれを苦にしていなかった。当時われわれは、なおクロパトキンに信任を置いていたのである。
 一方わが提督は什麼(しゅも=「如何に」の意、什麼生は同義だが 「そもさん」と読む)と言えば、彼は率直に、彼の意のままになる手段では、とうてい日本人の上陸に対抗できないと言ったそうである。私はこのことについて、はたして真なるか否かを知らない。しかしいずれにしても、何事も試みられなかったこと、提督が何か試みようとしているという様子さえ装わなかったことは、真に恥じるべき次第である。

 それから数日を経て、ある確かな筋からの情報によれば、敵は貔子窩に上陸し、その前衛は大胆にも鉄道線路まで進出して、通過する列車を射撃したそうである。翌月半ばに至って、旅順はその通信連絡を絶たれてしまったことを発見した。郵便、電信、その他一切の交通機関は断絶し、実にわれわれは完全に、的確に遮蔽されてしまったのである。日本が初一戦の後、長く軍を留めたのは一大失策であった。もし彼らにして挺進長駆したとすれば、旅順は直ちに陥落したであろう。かくして彼らが空過した3カ月は、われわれにとっては確かに有効な時日だった。

 それは、この時日を利用してわれわれが成し遂げた防禦は、日本人が防御であるわれら、なかでもステッセルをして絶望の淵に陥らせるまでに7カ月を要したほどのものだったのである。しかしてステッセル将軍の決行がなければ、開城は確かにまだまだ遅れたであろう(所詮避けられないものだったと私は信じている)。
 籠城の初期において、わが艦隊は間接的な方法である程度まで、マカロフ提督の死とペトロパブロフスク爆沈に対し、日本軍に復讐することができた。はじめ敵が海上からわれわれを砲撃するのを妨害しようとして、われわれは海岸砲台の有効射程外一面に機雷を散布した。なお老鉄山岬角沖および大連湾外方にも若干を敷設している。ウィトゲフト提督もこれら二地点間でかつ湾口の南東およそ7浬の地点に、なお幾分かを撒こうとの機宜にかなった考えを持っていた。
第19回・終わり

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No.1867 ノヴィック物語・第18回
投稿者: 志郎 27 Apr 2014 22:27:42
 ペトロパブロフスク爆発の最中、われわれは潜水艇の襲撃を受けつつあるとの、諸艦に起きた風説により、名状すべからざる狼狽の極みとなった。そこでは戦艦も、巡洋艦も、海上に浮流するものが目に入ると、それが何であるかを問わず、これに向かって発砲した。木片、貯蔵品の空き缶、その他なんでもペリスコープだと思われた物に撃ちまくったのである。この狂ったような射撃は、誰に指揮されたわけでもなく、近所近辺委細かまわず、射手は400ヤード以内ですらあえて発砲した。

 弾丸は四辺に飛散してシウシウという音が、間断なく耳をかすめる。幸いにしてノヴィック艦長は、その理性を失わず、大精力を発揮して兵員の乱射を止め、ただちに両舷機後進全速を令し、付近艦船の射界を脱しようと後退した。このとき一時、潜水艇が本艦に向けて突進してくると言う者があると、セマフォア信号を受けたが、これはまず、本艦推進器の後波を、それと誤認したものに違いない。なぜならば私は注意して四辺を凝視していたが、何らそれらの物体を発見し得なかったからである。ところが兵員はこの知らせを聞いて慌ててしまい、射手の何某は波上に浮遊するオーカムの一塊を指して、「誓ってペリスコープです」、などと言った。

 ともかくもこのワイワイ騒ぎの圏内を脱しようと考えたのは、本艦を除いては他にポルタワが1隻あっただけだと私は信じている。本艦は群羊の如く一団となって港口に向かう諸艦を離れた。新艦隊司令長官は、ようやく全艦隊に向かい、陣形編成の信号を伝え、それで本艦は自然、しんがりを務めることになった。
 この日における潜水艇の出現如何は、長い間の疑問のひとつだった。かつわれわれの大多数は、この新式の艇を知らないし、その性能がどれほどのものであるかについても、なんら概念を有しないのであった。

 日本が潜水艇を有したことは確かである。なぜならわれわれが北米合衆国から幾隻かを購入したと同時に、日本も若干隻を買い入れたからである。しかし誰も本戦役を通じて、未だこれを見た者がいないので、銘々彼らに関する自己の想像になる説を勝手に話しているだけという有様だった。ある人は潜水艇なるものは、工廠の海面にまで潜り込んできて魚雷を発射し、やがて静かに姿を隠すことができる物であるとかたく信じていた。

 ともかくもウィリヤノフ大尉の発明した方法によって、網で造った障害物が設けられた。これによって潜水艇を捕らえるなどは、密猟者がウズラを捕まえるようなものだった。信号兵がただの木の棒をペリスコープと取り違え、あるいは海面に遊ぶアザラシを、水面に浮かびあがった潜水艇だと誤認したことは一再に止まらない。そしてそのつどセマフォアが全旅順を騒がすのが常であった。あるとき白狼山信号所より、潜水艇ありとの信号を受けたので、私はノヴィックの小蒸気で出発を命じられた。出発に臨んで受けた訓令にいわく、ペリスコープによって潜水艇を捉え、木づちでもってこれを粉砕して、艇を盲目にすべし、旗布もしくは帆布でもってこれを覆えればもっと良い。ペリスコープに曳索を結び付けて、これを港内に拉致することができれば最良であると。

 戦後、私はウラジオにおいて一年間、二、三潜水艇の艇長を務めたが、その時初めて、当時潜水艇に関する人の知識なるものの……あえて奇言を弄するわけではないが……いかに殿様式であったかを覚ることができた。戦争の兵器としては、未だ完全なる域に達してはいないにしても、潜水艇は今日すでにはなはだ恐るべき兵器とみなす程度に発達しているのである。
 マカロフ提督の後を襲って、艦隊の指揮に任じたウィトゲフト提督は、彼の新任務に対してはあまり適才でないのを充分に自覚していたようだった。そのせいか、彼は外海での行動はその何であるかを問わず、艦隊としてはこれを計画しないことに決してしまった。しかして彼の自由になるあらゆる手段を用いて要塞の防備に集注することを選んだ。それがため管理下の頓智家連は、戦役の終結するまで艦隊は厳に局外中立を守るべし、などと皮肉を言うようになった。
第18回・第4章終わり

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No.1866 同床異夢
投稿者: hush 25 Apr 2014 22:41:23
…真赤っかだねえ

 ですね。著者の趣味と出版社の営業方針とが見事に食い違ったのでしょうね。
 
 ところで、昨日、買って参りました。
 こちらが思い描いていたような中身とはずいぶんと違ったのですが、実に
艦長らしい本ですね。
 こちらで拝見した話も多いのですが、それを感じさせないぐらい面白くて、やはり、この方の筆力というのは只者ではないと思ったような次第であります。
 なお、連休中ぐらいは、宣伝バルーンを揚げておこうと思っております。
  

URL: http://hush.gooside.com/

No.1865 ノヴィック物語・第17回
投稿者: 志郎 25 Apr 2014 22:35:00
 たとえ私が百年の齢を重ねることがあったとしても、わずか1分30秒に過ぎないこの惨劇は、けっして私の記憶から消え去ることはなく、その恐ろしい光景はわが眼球の底深く刻み込まれて、今日なお目の当たりに見る心地がする。実に恐ろしかった。その犠牲者に対し援助を与える方法には、何も取るべき手段はなく、その戦慄すべき惨劇を止めようとしても、何も方法がないことを思い知るとき、その恐怖はさらに一層の深刻さを加えた。この打撃を被って満艦の将士はことごとく茫然自失し、おのおのその持ち場に釘付けされたかのようであった。

 私は第一回の爆発の後、後甲板の端艇を下ろすべき命令を発したが、命令者である私を始めとして、部下の誰一人、ちょっとでも動いた者がいない。そのさまはあたかも手足をもがれた如くだったと記憶している。そののち間もなく各艦の端艇は相次いで惨劇の現場に到着し、小蒸気、駆逐艦も力を合わせて僅少な生存者を収容しはじめた。誰も長官が戦没しただろうとは思わなかったから、艦隊各艦に信号を発してその安否を尋ねたが、いずれよりの返報も同じ断腸の答ばかり。けれども最後の希望がまったく煙と消えたのは、数時間の後であった。すなわち端艇各々その本艦に帰投した後で、しかも彼の屍を収容したとの、せめてもの慰藉すら聞くことができなかったのである。

 ペトロパブロフスク爆沈一時間にして、お鉢は回って今度はポピエダが水雷に触れた。同艦は幸い軽傷にて逃れ、多量の海水が奔入してきたにもかかわらず、修理を受けるため自力で港内に帰還することができた。ペトロパブロフスクが機雷に触れたことの結果の、これほどまでも惨憺たる所以は、触雷した個所が主弾薬庫のひとつの真横にあたっていたからだろうと思われる。そしてこの火薬庫の爆発が汽缶を破裂させたのだろう。同艦の汽缶は旧式で、こんなことになりやすい傾向を有している。

※ペトロパブロフスクのボイラーは、水管缶以前のスコッチボイラーすなわち円筒形煙管ボイラーの一種であり、大量の水の中に、高温の燃焼ガスが通る煙管を配している。蒸気圧は全体を構成する円筒形のボイラー外皮によって支えられているので、損傷などでその力学バランスが崩れると、大破壊を起こす傾向がある。水管缶ではこの関係が逆になっており、細い管に閉じ込められた蒸気圧は、破断を起こしても管一本だけの破壊に止まる場合が多く、最悪でも缶全体が爆発するようなことにはならない。

 私はただ数秒に過ぎないその爆発において、いかに多数の生命が失われ、その顕著なる手腕が艦隊にとって貴重なものであったところの、数多の長官幕僚が陣没したかを想像するにあたっては、戦慄するのを禁じ得ない。艦の深底にいた人々は、生きながらにして艦とともに沈み、生埋め(もしこの語を用いても良いのであれば)になったのを知りつつ、比較的長時間生存したのであろうことを思うと、慄然として肌に粟を生じるのを覚えるのである。ゆえに私は本能的に戦争……たいてい外交家なる者によって醸される困難を解決する手段にして、すでに現世から消滅してしかるべき蛮風……に対し反感を抱く者である。

 右のような惨劇は、巡洋艦ロシアの艦内にも演出されたことがある。日本軍艦の発射した一弾が艦内に火災を起こし、数名の兵員がコンパートメント内に閉じ込められてしまった。彼らの境遇はすでに絶望であり、万事休するときがすでに近いことを覚った彼らは、讃美歌「デ・プロファンデス」(深き淵の底より我らは主に向かいて叫ぶ、主よ願わくばわれらの祈りを聞き入れたまえ……)を合唱して、死の来りて彼らの声を沈黙に帰させるのを心静かに待ったという。

 マカロフ提督戦没の光景がどんなものであったか、何人もこれを語り得るものがいない。ただ伝えられているのは、彼は艦橋上に倒れてきた前マストによって粉砕されたというのみであるが、要するにこれはたいした問題ではない。彼の死は独り旅順口方面のみならず、全ロシアにとって挽回のできない不幸であり、このため艦隊は避けるべくもなく壊滅の運命を見るに至った。
第17回・終わり

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No.1864 hushさま
投稿者: 志郎 24 Apr 2014 23:39:02
ありがとうございます。・・・真赤っかだねえ。
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No.1863 了解いたしました
投稿者: hush 23 Apr 2014 23:46:57
 このような紹介の仕方でよろしかったでしょうか?
 
URL: http://hush.gooside.com/

No.1862 ノヴィック物語・第16回
投稿者: 志郎 23 Apr 2014 22:23:51
 敵の艦隊は十分集合していないように見えたから、司令長官はまずこれを攻撃しようと考えた。しかしわれわれが有効射程に達する前に、敵の戦艦隊はその巡洋艦隊に合してしまった。そこでわが艦隊が海岸砲台の保護下に退却しようとした時、日本軍は偽計を用いてわが艦隊の退軍を止め、彼らがまさに準備した機雷敷設原を測って、彼らを追撃するよう、わが艦隊を誘致することに成功した。

 1878年より79年に至る露土戦争において、水雷敷設家の泰斗として令名ありしマカロフ中将ともあろう人が、日本人がこちらの例に倣うことがあるかもしれないと、少しも思い至らなかったとは、はてさてどうしたものだろうか。ペトロパブロフスクの惨劇以前は、彼と等しく何人もかかる出来事に関して頭を悩ます者はなく、何等の警戒も施されなかった。日本敷設艇の行動が、われわれの監視をかすめ得たのは、まったく当然のことである。その上、微少の霧といえども探照灯の光を阻害すること甚だしいものである。この霧という奴は、一種の幕を成して、光はあたかも障壁に対するがごとくに打ち止められるように思われる。

 後日私が一海岸要塞の勤務に回されたことのあった時、平穏で靄気のある晩に、外港錨地を敵の水雷艇が行動して立てている音をしばしば聞いたが、その場合いつも、私にはどうにもしようがなかった。なぜというならば、彼らを撃沈する前に、まず彼らを探照灯の光芒裡に入れなくてはならない。上手く敵を追尾できたとしても、はたして彼らがすでに敷設艇としての作業を完成したか否かは、確知することができなかった。ゆえに翌朝、彼らの撒いた水雷に対して掃海を行い、船首に防御網を張り出す外に仕方がなかった。(この防御網は、魚雷襲撃に対して軍艦が有するような「スチールワイア・グラメットネット」で一端を、ブームを構成しているスパーの先に括り付けたものである。そしてブームの両端は繋維した)

 私はこの二つの臨機の方便が広く使用されていたことを確言する者である。機雷は特殊な装置を施した芥船小蒸気で掃海し、敷設艇はネットを張り出している。けれどもすでに遅かりし、これらの用意はマカロフ提督戦没後に至って初めて行われたのである。わがロシアの古いことわざに、「雷を聞かないうちは百姓は胸に十字架を描く考えを起こさぬ」というものがあるが、その真理なることがさらに証明されたのである。

 われわれの創意的才能はその後ますます発達して、ついに敷設にくる敵の駆逐艦に対して罠を置くに至った。そして籠城の終わりころに、空のカスク(樽)から吊るした漁網を、推進器に引っ掛けた日本の小蒸気を捕獲した。日本軍の撒いた水雷の数は、われわれがただ軍艦通過に必要なだけの広さに掃海した二つの狭い水路ばかりで、400個という数を引き上げたほどであるから、われわれが探索しなかった泊地の各所に残存するはずの水雷の数がいくつになるのかは、これで大体想像がつく。話は思わず横道にそれたが、これより再び、泊地に運動しつつ、まさに日本艦隊の追跡に移ろうとしつつあったマカロフ提督のことに立ち戻ろう。

 およそ午前9時30分頃、底鈍なる爆声の後、ただちにペトロパブロフスクは傾斜し始めた。すると耳を聾せんばかりの数回の爆発が迅速に相次いで起こった。そしてこの大軍艦はまさに数片に破砕され、艦首を下にして速やかに沈没しはじめた。我らはまず水を離れてなお空転する推進器を見、次いで色も鮮やかに塗られた緑の艦底を見た。同時に噴火山の斜面を溢流する溶岩もかくやとばかり、炎々たつ炎の舌が甲板をなめた。少時の後、秒一秒、刻一刻、その速さを加えて海若に呑まれてゆくペトロパブロフスクは、蒸気と水柱の噴泉裡についに湮滅してしまった。
第16回・終わり

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No.1861 hushさま
投稿者: 志郎 23 Apr 2014 22:22:52
ありがとうございます。
ご宣伝、よろしくお願いします。
URL: http://www.d3.dion.ne.jp/~ironclad/index.htm

No.1860 お祝い申し上げます
投稿者: hush 23 Apr 2014 22:14:43
 おめでとうございます。
 まだ、入手できていませんが、今度、本屋に行ける機会がありましたら、是非、購って参りたいと思っております。
 ところで、うちのサイトで宣伝させて戴いてよろしいでしょうか。
 
URL: http://hush.gooside.com/

No.1859 巨砲艦
投稿者: 志郎 22 Apr 2014 23:18:44
光人社NF文庫から、「巨砲艦」を上梓しました。すでに一部書店には並んでおりますので、お見かけの節はお手に取っていただけると光栄です。

本体価格850円+税です。360ページほどあるので、読みごたえはあるかも。皆様よろしくお願いします。

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No.1858 ノヴィック物語・第15回
投稿者: 志郎 21 Apr 2014 22:57:51
 その後数日にしてまたノルウェーの一汽船に出くわし、本艦は提督から臨検を命じられた。私はその汽船に遣られたが、天候がよくなかったので、うちの艦長はいっそ旅順へ送り込んで安穏に臨検を行うほうが早手回しと考え直したと見え、自分がちょうど汽船の甲板に登った時、セマフォアがこの臨検方法の変更を命じてきたため、端艇は本艦に帰ってしまった。そこでやむを得ず私は、その汽船に残る悪運に陥った。

 ところがこのノルウェー船の船長は、この付近の海図を持っていないときた。私とて地方水路の知識はすこぶる浅薄で、その上まったくこの近辺の海上に勤務したことがなく、かえってここいら辺には浮標機雷をばら撒いてあるという余計なことはよく知っていて、要するに私は浅瀬に取り囲まれてしまったと考えるしかなかった。しかし、自分の痛心を船長に隠さなければならないという一念だけはすこぶる旺盛だったから、船長に命じてノヴィックの後に続かせ、ノヴィックが海岸に近付くとともに、しだいに強くなる潮流のため、確実に偏位しつつあることなど考えず、ひたすら同艦の運動に従って、付いていかせたのである。

 その結果、やがてわれわれは、甚だしく岩礁に接近したのを発見したので、今まで平気でいた船長は、愕然として覚醒し、本当に大丈夫だろうかと尋ねたから、私は何食わぬ顔をして、ここら辺一帯にまき散らした機雷を避けるために、岩をすれすれに通らなければならないのだと答えた。私の災難はさらに上書きされ、船長の細君がすこぶる神経過敏になって、私のそばに立っていたのだが機雷の一語を聞くとともにはらはらと涙をこぼし、私の袖に縋り付いて、なにとぞ釈放してくださいと哀願するのである。その光景はあまりにも馬鹿らしく、怒ってよいのだか、笑ったものだか、わからなかったくらいである。そんな話はさておき、私は心底からこの人たちを憐れんだ。どうやら戦時禁制品を積んでいないことは、大概わかっていたのだから。

 私はどこをどう通って旅順に達したかを覚えていないが、ともかくも錨を入れると早々に退船して、この神経過敏な婦人の啜り泣きから逃げたのである。そして翌日、夫人は船と共に解放されていった。
 提督のこれらしばしばの偵察は、日本艦隊にとっては不便甚だしいものであった。彼らはこれがために現地に拘束され、需品を補充しに日本へ帰還することができないのである。そこで彼らは石炭ならびに弾薬補給用として前進根拠地の一つをエリオット諸島に設備しようと決心した。それから長官が言わば精神的偵察とでも称すべきものを連続施行した目的は、おそらく敵の警戒を緩めておいて、吉晨を卜して突如この根拠地に殺到するか、間がよければウラジオに達しようとすることにあったのは事実らしい。彼の計画が真にこのようなものだったのか否かは別問題として、とにかく運命はその遂行を許さなかった。なぜとなれば以後の戦役を通して萎靡(いび)振るわざるに至らしめたあの恐ろしき大悲劇は、4月13日をもってまさに演出されたからである。大悲劇とは言うまでもなく、ペトロパブロフスクの爆沈である。

 ある日提督は、「ひと仕事やろうと思う」と公言なさったのであるが、ああ彼にして能くその冷静な判断の、一時的熱情に打ち勝つことができないなどということがなかったならば……。しかして彼の失敗の原因は、まさにここに胚胎したのである。
 4月13日払暁、巡洋艦隊出港、戦艦隊直ちにこれに続く。その目的とする所は、夜間の行動を終えて帰航の途、敵の巡洋艦に出くわした味方駆逐隊を救おうとすることにあった。ちなみに記すが、これらの夜間巡航が思いがけぬ危険に陥ったことは、今に始まった話ではない。わが一駆逐隊は暗夜のため味方の隊だと誤認して、終夜敵駆逐隊に混じって行動し、無事一夜を過ごしたが、黎明互いに敵味方であることを発見すると、敵はこぞってこれに攻撃を加え、同艦は辛うじて虎口を脱するを得たことがある。
第15回・終わり

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No.1857 ノヴィック物語・第14回
投稿者: 志郎 19 Apr 2014 23:10:29
第14回
 日本軍が初めて間接射撃を用いて、市街ならびに内港錨地への砲撃を試みたのは、彼が到着したその当日の朝であった。善戦は、座して敵弾の標的になるよりはだいぶんに勝る選択である。私にとって神経を悩ますことといえば、未だかつて、錨を投じて頭上に落下してくる12インチ砲弾を待つより甚だしいものを知らない。12インチ砲弾の重量が800ポンドと聞くに至っては、さらにその悩みが強くなる。しかしさすがに戦艦に居る者は、われら軽快巡洋艦に在るものに比してすこぶる落ち着いている。彼らは中甲板の下、装甲鈑の陰に隠れればまずは良いが、軽快巡洋艦や駆逐艦の舷側板は、小指の厚さがようやくであるのだから、このような状況下で受ける砲撃は、まったく興醒めである。

 射撃艦はわが砲台からの応炮など思いもよらないほどの遠距離に占位し、わずかにわが戦艦が高仰角射撃によって反撃できただけである。指をくわえて撃たれるのを待つ代わりに、その結果は怪しいにしても、とにかくも撃ち返してやれるということは、非常な満足である。
 付近海面は海図上数多の方形に区分され、各一個の方形に一個の砲塔を割り当てて、山頂には信号兵と電話係を配し、12インチおよび9.2インチ砲弾の弾着を観測報告させ、これによってわれわれは照準器上射距離の修正をすることができた。このため日本軍艦は、しばしばその位置を変えなければならず、したがってこれはその射撃を妨害することになる。
 われわれは幸運な命中弾としては、まだ一個を数えるのみであったが、この大砲弾は春日の艦上に轟然落下して、その射撃を停止させるに充分だった。

 3月の月は全部、艦隊の順序階梯を整える教育訓練に捧げられてしまった。この機関は大仕掛けの行動は一つも企てられず、ただ半径を大きくした偵察が行われたのみである。この偵察中は、未だ決して海上権は渡していないぞ、ということを日本人に明示しようとして、逢遭する汽船はことごとくこれを停めた。
 ある日、廟島列島付近に出動していた時、日本の一小汽船に出会わした。汽船はたちまち群島中に姿を隠そうと試み、われわれはそらというので追跡する。汽船は逃走の望みがないのを知ると、乗組員の一部をシナのジャンクに移し、ジャンクは直ちに帆を揚げる。そして汽船は海岸に向けて全速力で走りだして、岸に乗り上げようとする意図が明らかであった。

 わが随伴駆逐艦は直ちにジャンクを停めた。このとき汽船の船首をかすめた弾丸は、同船の機械を停止させた。やがて本艦の端艇の1隻に乗って同船に赴いた私は、上甲板に錆びた一個のホワイトヘッド魚雷と、船倉に3名の日本人が潜んでいるのを発見した。訓令に従い船員である4名の支那人とともに、日本人を本艦に護送させた。それから5人目の支那人……船長だな、と私はすぐ思った……は風采堂々たる男だったが、船橋の高所から憔悴した眼光をもって、私を睨み殺そうとするかのような気配を示した。私は慇懃に彼を呼んで端艇に移らせたが、彼は艇尾に踞座してすこぶる尊大であり、しかもまったく喋ろうとしない。そこで人を見ればスパイと決め付けるコクスンは、彼の頭上に気がついて、偶然を装ってその帽子を叩き落とした。するとそれと共にカツラと豚尾が飛んで、吃驚して見詰める私の眼前に、上手く支那人に化けていた一人の日本人が現れたのである。

 本艦は曳航を試みたが、ノヴィックの速力は、この古ブリキ缶が、張力に耐えないほど早過ぎて、マストは折れて舷外に落ち、船首は裂けて口を開くという有様、そこでわれわれは曳索をやり放し、砲火をもってこの獲物を水葬するしかなかった。日本人はもちろんすべて捕虜として旅順に連れ帰ったのである。
第14回・終わり

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No.1856 ノヴィック物語・第13回
投稿者: 志郎 17 Apr 2014 21:54:13
第4章
マカロフ提督の着任……間接射撃……ペトロポーロスク(ペトロパブロフスク)の爆沈

 マカロフ提督の着任を待ちつつ、不活動の状態をもって、いつしか2月の月も暮れ果て、はや3月となった。これまでにした事で、一番めぼしいものとしては、旅順口より4、50浬の半径内に試みた数回の偵察である。すべてのものが皆大家……マカロフ中将はすでにこう呼ばれていた……の来着を待ち構えてとっておかれた。大家が来れば捌けるさ。実にマカロフ提督は、3月7日をもって着任した。そして工廠長であるG少将がこの憂き目を見たのは、畢竟これを彼の無能に帰すべきであろう。

 彼はウラジオに遷されて類職に補せられたのである。後日ウラジオに暴動が起こった時、彼はへその緒切って以来、初めての独断専行をあえてした。彼の言うところによれば、彼は要塞司令官の職権を侵害する恐れがあるから、反乱を鎮定する行為に指を染めることを避け、幕僚全部を率い、軍艦アルマーズに避難したのである。彼の独断専行とはすなわちこれだ。
 これを見て直ちに了解し得るであろうが、反乱の鎮定と共に、彼は到底その位置にあることができなくなって、倉皇としてサンクト・ペテルブルグに逃げてゆき、同地の工廠長の椅子に据えられただけで事は済んでしまった。私とて「牛は牛連れ」ということは知らないではないが、正直、かかるやり方で海軍の改革など望まれたものだろうか。

 マカロフ提督の着任は全旅順を震撼した。彼は元来熱誠なる巡洋艦主義者であるから、直ちに意をアスコルドおよびノヴィックに注ぎ、付近に遊弋する敵艦隊を精察し、また敵駆逐艦をこれらから遮断する目的をもって、将旗をノヴィックに掲揚した。しかし敵の主力に進出されては、さすがの彼も退却のやむなきを自覚して、これにより彼の軽艦主義もぐらつきだした。

 彼はまずアスコルドに将旗を移し、さらにこれをペトロパブロフスクに掲げた。そしてついに告白していわく、ペトロパブロフスクに居るとより安泰である、ことに危険に暴露することはもう少なきを覚った。なぜかと言えばノヴィックを立ち往生させるには、どんな弾でもわけなくできるが、良く建造された戦艦は、1発の弾では容易に参らないからであると。確かに司令長官たる人は、かかる危険に身を曝すべきではない。これは彼自身のために言うのではなく、邦家千鈞の身、自重しなければならないというのである。

 提督の先ず意を注いだのは、編隊中における軍艦の操縦法をわれわれに教えることであった。言わなければならないのは苦痛だが、わが艦長連はこれに関して何等概念をも有していなかった。忌々しいが旅順口外における日本艦隊の運動は、これを称賛することを禁じ得ない。彼らは秋毫の遅疑なく、けっして間違いをやらなかった。これに比べて、マカロフ提督が初めてわが艦隊に陣形を取ることを命じた時の彼の胸のうち、思いやるだに愚かである。

 その信号の下りるか下りぬかに、艦隊は混雑錯雑、散々の態で、中にも己が採るべき運動を誤解した2隻の戦艦は、早くもその場で衝突を引き起こすという有様であった。しかし互いに酷い損傷を被らずに済んだのは、ひとえに運のおかげと言わなければならない。けれども何人もこれら艦長に求めるに、彼らの未だ習わざるところを知らないことをもってするのは、理の当に為し能わざるところである。運動中の艦隊において、一戦艦の操縦のことのような、極めて簡単な事柄においてすら、単なる理論上の知識は物の役に立つものではない。要は海上における不断の実習にある。そしてわれわれがまったく欠いていたものがまさにこの実習なのだ。提督はまずこの練習をわれわれに積ませようと考えた。しかしこれゆえに、彼の貴重な戦艦が、互いに相沈めるようなことにならないかを憂えて、思い止まったらしかった。
 あれほど悲惨にして、かくも迅速だった彼の終焉が来るまでに、なお幾分かの時日が残されていたならば、おそらく提督はその最初の失敗から回復して、部下の艦長たちの訓練に傾倒しただろうに……。
第13回・終わり

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No.1855 KDBさま
投稿者: 志郎 17 Apr 2014 21:53:29
ま、よくあることです。
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No.1854 はあ?
投稿者: KDB 16 Apr 2014 16:18:18
ノヴィック物語、ロシア側からの視点は新鮮ですね。だけどーーー11回、12回の話は第一回閉塞作戦だと思いますが、このとき、確か犠牲者はほとんど居なかったはずでは?それにペテンで古船に乗せたような話は初めて聞きましたねーーー?

No.1853 ノヴィック物語・第12回
投稿者: 志郎 15 Apr 2014 22:51:34
 これは単なる想像にすぎなかったが、それでも万一に備えて、特殊な防材を各地に配している。この防材は、可燃不燃に関わらず、液体の流入を防止しようとするもので、垂直なブリキ板からなる、ある装置でできていた。第一回閉塞の行われた翌朝ノヴィックは、終夜鳩湾に滞在して警戒の任務に服すべく派遣されていた2隻の駆逐艦の消息を掴むため、同湾に向かうべき命令を受領して錨地を乗り出した時、昨夜の深夜劇の結果を確かめることができた。
 4隻の汽船は陸岸に乗り上げ、その中で非常にレトウィザンに接近していた1隻は、なお燃え続けていた。海面には裂けた端艇、救命浮標、救命帯などの各種破片物がいっぱいに浮いていた。敵の幾人かはたぶん彼らの端艇に乗って、自ら脱出することができただろうが、大多数は溺死もしくはわが砲弾にあたって、討ち死にしてしまったはずである。

 我が軍は船内に残留していた数名の日本人を捕虜にした、しかしわが端艇に乗せて彼らを連れ去ろうとすると、事態は悲惨なことになり、彼らのある者は自殺して果て、一士官は舷外に身を投じて海岸に泳ぎ着き、岩上によじ登って狂気の如くに自らを守ろうとしたが、その最期の拳銃弾を発射してしまうと、帯を取って我と我が身を絞殺しようと図った。この時わが兵員は辛くも到着して危ういところを取り止めた。これは旅順における戦争の捕虜の最初である。しかしこれがまたほとんど最後の者であることを白状しなければならないとは……嗚呼(ああ)。

 日本新聞紙のしばしば伝えたところによれば、これらの火船はみな志願者によって配員され、しかもその人数が過多であったため、くじ引きでこれを決めたとあるが、翌朝捕虜を尋問して、われわれは事が全く事実と相違するのを発見した。彼らはこれら老朽不要の船舶を日本に還送するためと言い含められ、ペテンにかかって乗船し、そして何時間か航走した後、誰にも知らさず、針路は旅順に向けられたのだ。自分はこれに対してあまり驚きはしない。なんとなれば日本人の誠意や愛国心がいかほどであるにしても、かまえて死に就こうとするかくも多くの人員を、こんな短時間の間に集め得たとは、受け取りがたいことであるからだ。

 2隻の駆逐艦が鳩湾に安在しているのを発見し、本艦は彼らを率いて旅順に向かった。帰航の途次、なんとも癪に触ったのは、わが根拠地からわれわれを遮断しようと、全速力で向かってきた4隻の敵巡洋艦である。われわれは狂気の如くに突進した。機械を回せるだけ回させた。われらの遁走の機会は、一に懸ってこの機械の上にあった。雨と降り注ぐ敵弾の下を潜り抜けて、やっとのことで敵艦隊を後方に見ることができた。日本人はこんな好い獲物を取り逃がしたので、地団駄踏んで悔しがっただろう。

 翌朝日本全艦隊は、火船襲撃の結果を確かめようとして出現した。以下に彼らが不成功であったかを証明してやるために、アスコルド、バヤーンおよびノヴィックが港外に出され、諸艦は直ちに敵の先鋒諸艦と砲火を交えた。我が3艦が砲戦を開始した時、うちの艦長は、ノヴィックの勢力薄弱なることを理由に、港内に退却したいと許可を求めたが許されなかった。そこでこのような状況の下に、いたずらに港外にあるときは、ただ無用の沈没を遂げるだけの結果になると考えた艦長は、魚雷襲撃の決心をもって全速力を出し、ノヴィックを掲げて敵軍めがけ突進した。けれども彼がその目的を遂行する前に、直ちに帰還すべきを命じる信号が黄金山頭に掲げられたのである。

 この日わが海岸砲台に対し、大事を取って近寄らなかった日本艦隊は、その後長い間出現しなかった。しかし彼らはわれわれを閉塞しようとする計画を断念したのではない。そしてその後しばしば同一の目的をもって、夜陰に乗じ、例の火船を放った。そして翌朝、日が昇ると必ず敵の巡洋艦が、昨夜の結果を見に出現する。この場合にはいつも外さず、水道は相変わらず開いているよということを間違いなく彼らに知らせるために、巡洋艦もしくは戦艦の1隻が港外に送られた。
 こんな次第で旅順口外の錨地には、20隻以上の日本船舶が、ひとつとして水道閉塞に成功するものなく、いたずらに破れた船体をもってその場を塞ぐに過ぎなかったのである。
第12回・第3章終わり

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No.1852 ノヴィック物語・第11回
投稿者: 志郎 13 Apr 2014 23:20:34
第11回
 やがて未明3時という頃に、合点のいかない物音に目を覚まされ、何事が起きたかと思い乱れながら、私は寝床から跳ね起きると、甲板に駆け上った。見ると、魔界の有様もかくやと思われる不思議な光景に、私は両眼を眩惑されてしまった。「インク」色の暗黒の空には、「レトウィザン」および海岸砲台から照らされる探照灯の光芒縦横に流れ、各要塞から発射される砲火の閃きに、丘陵一帯は炎の舌を吐くようで、絶え間ない砲声が殷々と海岸から海岸へ轟きわたっている。

 ノヴィックの上甲板は、士官水兵ひとところに立ち群がって、その混乱は名状しがたい。互いに何が起こったのかと問い合い、てんでに勝手な説を吐いていたが、誰ひとりとして正鵠を射た者がない。私はいっそう高いところに登って、そこから外港の一部を鳥瞰することができた。初めは空中で炸裂する砲弾があるばかりで、外に何も見えなかったが、そのうちに3本マストを有する1隻の日本汽船が、レトウィザンをすれすれに航過するのを発見した。
 レトウィザンはちょうど一斉射撃を浴びせかけ、さらに12インチ砲2門を装填して轟然たる響きと共にこれを発射した。すると汽船の前部はすっかり炎の包むところとなり、その明かりが煌々と四周を照らしたが、ほんの瞬間で、その消え去ると共に、闇黒さらに暗黒を加えるように思えた。

 ここにおいて私はようやく事態を諒解できた。日本人は狂気的勇気が発作を起こすように、旅順を閉塞しようとして、狭い港口に汽船を沈めようと試みたのである。この危急存亡の時、いかなる対価を払おうとも、この大胆な企画を阻止しなければならなかった。同夜、わが軍は惜しむところなく弾薬を使用したが、しかし単に大砲のみにては、直進してくる船を止めることができない。水線下を撃つものは、いかなる命中弾であっても幾分かの効果を得られるものだが、水線上に当たるものは何ら効力がなく、特に船体の石を積んだ部分を撃つものはなおさらである。これらはせいぜい上手くいったところで、敵乗員にある程度の影響を及ぼすだけである。これとて鉄石心を有する場合には、彼らがやりだした事業に固執するのを阻むことなどできない。

 1隻の汽船を除いて、他はことごとく水道両岸の岩礁に乗り上げてしまった。幸運はわれわれに味方したのである。私はこの幸運の結果を、わが探照灯に帰さなければならないと思う。私には、なぜ「火船」などという誇大な称号が用いられたのか、その理解に苦しむが、これら船舶の乗員を眩惑して方角を見失わせたのは、すなわちこの探照灯の光芒である。何人といえども、その眼に探照灯の直射を受けたことのある者は、すぐに距離および方向の見当を失う程度が、どれほど強烈なものであるかを知っている。この目潰しの方法だけで、誰もが参ってしまうのだ。

 この恐るべき光線が他へ逸れてしまうまでは、目を閉じている以外に方法がない。いわゆる火船の指揮官らは皆、この災厄をなめたに相違ない。そのために視力を失い、行く手がわからず、真っ直ぐに浜へ乗り上げてしまったのだ。こう書き記したような場合においては、ただ大砲だけでは十分でなく、副手段として電気触発水雷の沈置、各種防材をもって湾口の閉鎖などの方法によらざるを得ないのは、マカロフ中将の来着によって初めて人の知るところとなった。

 水道の幅は、石やがらくたを積んだ二大老汽船を両岸に沈め、たた通航に必要なだけの広さに減じてしまった。そこで事はいっそう難しくなり、日本軍は繰り返し、例の火船を送ってきたが、皆これらの人口浅瀬に擱座してしまった。彼らの何隻かは多量の石油を搭載していたので、われわれは彼らの意図が、艦船ばかりでなく海上に浮かぶものすべて、さらには工廠まで焼き払うつもりで、満潮に際して火をつけたまま、これを舷外に流すつもりだったのだろうと考えざるを得なかった。
第11回・終わり

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